【Prologue】
不老不死の研究…その為に造られた実験体。それが私だった。いや、私“達”だった。
父も母も、名前はおろか顔も知らない。そもそも存在しているかどうかすら疑わしい。冷たい培養液の中で育てられた私達は、物同然に扱われる私達は、ただの一度も愛情を与えられる事無く残虐な実験に付き合わされた。
それが存在意義であって、それ以外の価値などなかった。
切られて、潰されて、撃たれて、焼かれて、落とされて、猛毒を飲まされて……あとは何だっただろうか。不老不死の研究である以上、実験体は普通であれば絶命するような状況に幾度となく立たされた。これらを乗り越えた者…否、物が現れた時。ようやく研究は成功に辿り着く。
そんな愚行の結晶とも言える最悪の研究は、私の存在をもって成就した。私達の地獄は終わりを迎えた。けれど喜びを分かち合う事は出来なかった。
だって、私以外の実験体は生き残っていなかったから。
研究が成功したと大人気なくはしゃいでいる愚者達に、私は声を掛ける。
「ねえ」
生まれてから一度も声を発した事の無かった私は、拷問に身を投じていても一度も悲鳴を発した事の無かった私は、初めて言葉を吐いた。うるさいくらいの熱狂に包まれた空間がしんと静まり返る。声を張り上げなくて済むからありがたい。笑顔を携えてこう続けた。
「私の番だよね」
自分でも不思議に思う。この細腕の何処にこんな力が備わっているのか。ただの不老不死ならそれ程の脅威は無いし、きっと成功したらそいつの体を解剖なりして調べて不老不死の原理を解明して、自分達も不老不死になろうと思っていたんだろう。でも残念な事に、そんなに世界は甘く出来ていない。
壊す。壊す。壊す。
憎き愚者を。憎き研究施設を。憎き世界を。
「化け物」
愚者の一人が私を見てそう言った。ようやく気付いたんだ。自分達が何をしてしまったのか。
ああ、もう遅い。何もかも。
だけど、ささやかな反逆は呆気なく終わってしまった。いつの間にか気を失っていた私が目を覚ますと、世界はもぬけの殻になっていた。奴らは手に負えなくなった私を、世界ごと棄てたのだと理解した。
最初の数日は八つ当たりのように建物を破壊した。だけど次第に虚しくなって、やがて何もする気がなくなって、広い世界の片隅に寝そべってじっと過ごした。生を受けてから窓のない牢獄のような場所で過ごし、ようやく外に出られたというのに。自由になったというのに。小さくうずくまって一箇所に留まり続けている。
何をしているんだろう、私は。
これからこの広い世界で、永遠にたった一人で生き続けるのか。たとえ世界が滅んだとしても、私の命が終わる事はないのか。私は選択を間違えてしまったのだろうか。にこにこと研究者達の言いなりになっていれば良かったのだろうか。そうすれば、独りにはならなかったのだろうか。
「…誰か」
助けて、と続けたかった。だけどやめた。助けてくれる誰かなんて都合のいい存在は、この世界の何処にも居ないのだから。
思考を続けていくにつれ、悲しみは怒りに、怒りは憎しみに変わっていった。私の中には、研究者から与えられた苦痛と奴らへの憎しみしか無い事を思い出した。
そうだ。私の命は、復讐の為に使い続けよう。
そうすればいつか報われると。生まれてきて良かったと思える日が来ると…信じて。
【Chapter.1】
夜の闇に包まれた暗い路地裏。
対峙しているのは、二体の死神。姿形はまさしく瓜二つだが…片割れの背丈は一回り以上小さい。
「識別番号556…欠陥品を確認。これより任務を遂行する」
小さな死神が口を開く。感情を伴わない声色で紡がれた死の宣告。識別番号556と呼ばれた死神…否、『欠陥品』は、怯えた様な表情で後ずさった。
「や、やめろ…殺さないでくれ!!」
悲痛な叫び声が響く。『欠陥品』の足元には漆黒の鎌が落ちているが…既に戦意消失しているらしく、拾おうとする素振りはない。知っているからだ。抵抗した所で意味はないと。しかし…一縷の望みをかけて、『欠陥品』は言葉を投げかけていく。
「…なぁ、識別番号960。あんた、ずっとこんな事してきたんだよな?おかしいと思わないのか?仲間を殺すだなんて、いくらあのお方の命令だとしても…正気じゃない」
識別番号960。
何百回と同胞を殺めておきながら眉一つ動かさずに生きてきた、長きに渡り『欠陥品』を処分する役目を担っている死神殺しである。
960は冷酷に、無慈悲に、淡々と…与えられた任務を遂行する。これまでに達成出来なかった任務は存在しない。ただの一体も逃す事なく命を刈り取ってきた。
死神達の中での周知の事実だ。
そんな相手に説得を試みた所で無駄だと理解していながら、それでも『欠陥品』は恐怖を誤魔化すように口を動かし続ける。960が歩みを進める度に体の震えは大きくなっていく。それでも…生き残りたいが為に懇願し続けた。
「殺さないで…お願いします…」
今にも泣きそうなか細い声は夜の闇に吸い込まれて消えていく。960の表情に変化はない。無機質な冷たい刃が『欠陥品』の首筋に添えられる。
「い、いやだ、死にたくな…」
任務を終えた960は『欠陥品』の魂を懐に仕舞い込む。回収した魂は、死神達を束ねるリーダー…管理者へ渡さなくてはならない決まりだ。
故に拠点である冥界へ帰還するべく、960は手を宙に翳す。
その時…機械的なメロディが突如鳴り響く。
音の出所は960が携帯しているデバイスだ。特に驚いた様子もなく動作を中断した960は、速やかにデバイスを取り出す。表示された画面には、管理者から全死神に向けてのメッセージが表示されていた。
「全死神へ通達…忙しいから、報告は後にしろ」
書かれた文字を読み上げた後、では許可が下りるまで自室で待機しようと瞬時に考えた960の目に、ふと…大きな屋敷が留まる。ここら一帯で一番の敷地面積と言って過言ではない。高い柵の隙間から覗く豪華な庭には白いユリの花が咲き誇り、月の光を受けて淡く輝いていた。
まるで誘われたかの様に無意識の内に歩み寄っていた960は、夜風に揺れる花を微動だにせずじっと眺める。青い瞳はただ静かに目の前の純白を映す。
…穢れを知らない色。960が纏う返り血に塗れた漆黒のローブとは、似ても似つかない。
「あら、こんばんは。お客さま?」
鈴が転がるような可憐な声に960が視線を上げると、ユリの花越しに小柄な少女が立っていた。
ゆるく巻かれた白い髪。清潔な白のワンピースに黒いケープ。この屋敷に相応しい、如何にもお嬢様然とした出で立ちだ。
「…お客様?」
960は少女の言葉を復唱する。それから続けて問い掛けた。
「俺の事を、言っているのか」
少女の灰色の瞳が瞬く。きょろきょろと辺りを見回した後、少女は小首を傾げて不思議そうに答えた。
「ここには、わたしとあなたしか居ないじゃない」
「(何故だ。人間は死神を認識出来ない筈)」
960は思い当たる節がないかと考えるも、これまでにない異常事態だという事実しか脳裏に浮上しない。
まるで静かな湖に小石が投げ込まれ、波紋が広がっていくかの様に…960の思考が乱れていく。
「(人間に認識された時に取るべき行動…マニュアルに存在していただろうか。分からない。こんな事は今までに無かった。どうしたらいい。管理者に指示を仰ぐべきか。しかし管理者への連絡は現在許可されていない)」
「わたし、リリィ。あなたは?」
「…へ?」
960は意表を突かれ、思わず気の抜けた返答をする。話を聞いていなかった事を察したのか、リリィと名乗った少女は再び口を開いた。
「わたしはリリィ。リリィ・ベネットよ。あなたのお名前も、教えてくれる?」
「…識別番号960」
「しき?」
「960でいい」
「きゅーろくまる、さんね」
「(つい名乗ってしまった。これで、良かったのだろうか)」
960は今までに生じた事の無い己の思考に戸惑いつつ、満足そうに微笑むリリィから目を離せずにいた。すると、960の服に視線を落とした彼女の表情が曇る。
「いけない…!960さん、怪我してたの?気付かなくてごめんなさい」
「これは」
「中で手当てしてあげる!」
「怪我じゃな…」
否定の言葉は届かなかった。リリィは既に門のある方向へと駆け出していたからだ。走る事に慣れていないのか時折躓きつつも懸命に前進していたリリィは、何とか辿り着いた金属製の扉に手を添える。それから音を立てない様に注意深く開いた後、辿々しい動作で960に駆け寄った。肩で息をしながらリリィは微笑む。
「ごめんね…お待たせしちゃって…!さあ、行きましょう」
手を引かれた960は抵抗する事なく後に続く。繋いだ手の温もりが、死神を見るだけでなく触れる事まで出来るあまりにも異例な事態を物語っている。立て続けに起こるイレギュラーを前に…960は、大人しく屋敷へと連行されたのだった。
「みんなもう寝ている時間だから、しずかに行きましょ」
口元に人差し指を添えたリリィが、コソコソ話をするような声量で言う。960は頷いた。怪我をしていない事を伝える、という選択肢を選ばずに。
960の隣を歩くリリィは、カーペットが敷かれている以外は何もない筈の床で度々躓いていた。転ばないよう960が体を支えてやると、リリィは恥ずかしそうに「ありがとう」と笑った。
960は、ふと思い返す。今まで自分が触れてきたものは、生まれて暫くの間世話になった培養液や仕事道具の鎌を始めとした冷たい無機質なものばかりだった…と。
「(リリィは温かいんだな。それに)」
少しでも力の加減を間違えたら呆気なく壊れてしまいそうな程に、儚い。
リリィがとある部屋の前で立ち止まる。どうやら目的地に到着したらしい。大きな扉をそっと開いたリリィは、960に声をかける。
「さあ、どうぞ」
リリィの寝室だというそこは、白を基調とした清潔感のある部屋だった。本棚が壁一面に並んでいる所から察するに、リリィは本が好きなのだろう。天蓋付きのベッドに添えられたサイドテーブルには花瓶が置かれており、白ユリが飾られている。
リリィは慣れた様子で戸棚から救急箱を取り出し、扉の前で棒立ちになっていた960の手を取りソファに腰掛けた。
「遠慮せず、座って」
突っ立ったままだった960は、リリィの言葉でようやく腰を下ろす。
「礼儀正しいのね」
実際はどうすればいいのか分からず固まっていただけだったが、リリィは物事をプラスに捉えるのが得意なのだろう。それはさておき…960にとって問題はここからだった。
「それじゃあ手当てするから、傷口を見せて」
「何故こんな時間に一人で庭に居たんだ?」
怪我していないのがバレたら帰らされてしまう。その一心で960は質問を繰り出す。唐突に話を逸らされたにも関わらず、律儀なリリィは照れ臭そうに答えた。
「実は、お昼寝をし過ぎてしまったの」
リリィは病弱で屋敷から出た事がほとんど無く、体調が良い時だけ庭を散歩しているのだという。走り方や歩き方が何処かぎこちなかったのは、運動する機会にあまり恵まれていないからなのだろう。
「それで、お散歩すれば疲れて眠れるかなと思って」
「成程」
「あなたも眠れなかったの?」
「いや、俺は寝なくても平気だ」
死神に睡眠は必要ない。それだけでなく食事もだ。見た目は人間に似ているが、構造はまるで違う。
「そうなの?いいな…沢山時間が使えるから、色んなことができるわね」
リリィは目を輝かせたが、960がやる事といえば任務と待機の二択だった。とはいえ960はその生き方に疑問も不満もこれまで抱いた事はないのだが。
「色んな、事…」
呟いた960の虚ろな瞳をランプの柔らかな灯りが照らす。ふと、リリィの視線が960の右腕に止まった。
「あら?もう包帯が…」
使い古されて破れたローブの袖から覗く腕には、彼女の言う通り包帯が巻かれている。かつて任務で960が怪我を負った際、管理者により手当てされた時のものだ。怪我自体はとうに治っているものの、勝手に取って良いのかが分からなかった960はそのままにしていたのである。
「良かった。手当てをした後だったのね」
胸をほっと撫で下ろすリリィに、960は謝罪の言葉を口にした。
「…すまない。早く言うべきだった」
「ううん、いいのよ。気にしないで」
怒る素振りは微塵もない。朗らかに笑ったリリィは、救急箱を傍に置いて続けた。優しさに満ちた温かな声だった。
「無事なら、それでいいの」
960は俯く。
「もう帰らないと、いけないだろうか」
ぱちぱちとリリィは瞬きを繰り返す。それから口元に両手を当て、心の底から嬉しそうに…ふっと小さく噴き出した。
「まだ一緒に過ごしたいと、思ってくれているのね」
「そうだ。もっと、リリィの事が知りたい」
960の真っ直ぐな眼差しには、心なしか光が宿っていた。リリィは笑みを湛えて頷く。
「わたしも、あなたの事が知りたい」
960は部屋にある本棚を指差す。
「リリィは、本が好きなのか」
「ええ、大好きよ!素敵な世界を見せてもらえるもの!960さんは、本は好き?」
「俺は…」
好きか嫌いか、960には分からなかった。管理者に読み聞かせをして貰った経験は多々あるが、いずれも暗い内容の話ばかりだったと960は記憶している。
管理者はリリィと違い、ハッピーエンドが嫌いらしい。加えて綺麗に整頓して本を大切にしているリリィと対照的に、管理者は棚から溢れ床に散乱する程に本で埋め尽くされた部屋で過ごしている。本の上を平気で歩くし座りもする。扱いはお世辞にも良いとは言い難い。暇潰しという目的こそ共通しているが、根本的な部分が違うのだろう。
「よく分からない、から…リリィのオススメの本を教えて欲しい」
するとリリィは任せろと言わんばかりに、髪を揺らしながら立ち上がる。
「えっとね!」
…リリィの熱弁は960の予想を遥かに超えるものだった。太陽が顔を出し始めている事に気が付いたリリィは、顔を青くする。
「え…あら…やだ、いけない!ついお話に夢中になっちゃった…!長く付き合わせてごめんなさい…その…わたしお友達が居ないから、とっても楽しくなっちゃって…」
もじもじしつつ申し訳なさそうに俯くリリィに、960は言い切る。
「構わない」
リリィはそろそろと顔を上げる。しかし平然とした様子の960を見て安心したのか、次第に浮かない表情が晴れていった。
…と、不意に端末が鳴る。管理者からのメールだ。用事が終わったらしい。
「帰らないと」
960が呟くと、リリィは寂しそうに視線を落とした。ズキリとした痛みが胸に走り、960は咄嗟に口を開いた。
「また来ても、いいだろうか」
「また来てくれるの?」
「リリィが良いと言うなら」
「勿論、良いに決まっているわ!」
弾けるような笑顔に、960の心に温かいものが満ちていく。
「じゃあ、また此処へ来る」
「うん!約束ね」
リリィは小指だけ立てた手を960に差し伸べる。960が見様見真似で同じようにすると、リリィは小指を絡ませて微笑んだ。
「…待ってるわ」
約束を境に、960は隙を見つけてはリリィの元を訪れた。重ねた日々は、960を少しずつ変えていった。
雲一つない天気の良い日に、リリィが言った。
「あなたの瞳は、綺麗な青空の色ね」
960が飛べると分かった時、リリィは言った。
「あなたは、自由に空をかける鳥のようね」
クロウと呼んでも、いいかしら。
リリィと過ごして手に入れたのは、かけがえのない宝物だった。
名前、感情、そして…誰かを愛する心。
識別番号960と呼ばれる死神は、冷酷で無慈悲な同胞殺しは…リリィの前でだけは、ただのクロウだった。それがクロウは嬉しかった。彼女が天寿を全うするまで見守りたいと、いつしか考えるようになっていた。
…しかし、そんな幸せな日々が長く続く事は無かった。
【Chapter.2】
ある夜…管理者からメッセージが送られてきた。
リリィの顔写真と共に添えられた文章を理解するのに、真っ白になった頭では随分と時間がかかった。
『リリィ・ベネットを殺せ』
理由は何処にも書かれていない。
理解が、出来なかった。まだ寿命が来ていない人間を殺せだなんて。しかもその対象が何の罪も犯していないあのリリィだなんて。納得出来る筈が無かった。
…だがこれは、紛れもなく現実だ。
俺は待機部屋を飛び出した。
死神として命令に背く訳にはいかない。管理者の言葉は絶対だ。管理者の手となり足となり忠実な駒として従う事こそが生きる意味で、自分の意思を持つなど許されない…と、分かっている。
それでも今リリィの元へ向かっているのは、彼女から貰った感情が与えられた命令を拒絶したからだった。
二度と同じ時間を共に出来なくなる。それが死であると、よく知っている。俺が与えてきたものだからだ。数え切れないような長い年月、繰り返してきたからだ。
数多の命を奪った事実は何をどうしたって永遠に消えない。洗って見た目が綺麗になった所で、『欠陥品』と呼ばれた同胞達の血は俺の手にこびり付いている。今更誰かを助ける資格がない事は、分かっていた。
…それでも。
無事を祈りながら降り立ったリリィの屋敷は静まり返っていた。もう深夜だ。皆眠っているのだろう。
デバイスでマップを確認した限り、俺以外の死神が此方に来る様子はまだない。ひとまず安堵し、俺はいつもの場所…リリィの部屋を目指す。
暗い廊下を駆け、勢いのまま扉を開いた。
「リリィ!」
…ベッドに腰掛けていたリリィと、視線が合った。どうやら就寝前の読書を楽しんでいたらしい。
「こんばんは、クロウ」
リリィは本に栞を挟みながら微笑む。そろそろ寝る予定だったのか、いつもより眠たげな瞳だ。
穏やかな空間の中に居ると、緊迫した現状を忘れてしまいそうになる。けれど…すぐに焦燥感が俺を襲う。
「クロウ!?ど、どうしたの!?」
衝動的に抱き締めてしまった事で、リリィが戸惑いの声を漏らした。何か返さなくてはと思うも…言葉は出てこなかった。
「何か、つらいことがあったの…?」
リリィはそっと抱き締め返してくれた。だけど情けない事に、俺はただ頷くばかりだった。
「そう…」
悲しそうに呟いて、リリィは口を閉じる。
自分から話してくれるまで待つという姿勢の現れだ。何があったか聞かないのも無闇な慰めを続けないのも、全部俺を傷付けない為。リリィはそういう人だと、知っている。
部屋の振り子時計の針が時を刻む音は、猶予が短くなっていく証。名残惜しくもリリィから離れ、俺は彼女の目を見据えた。
「リリィ、どうか落ち着いて聞いて欲しい。君は…」
余りにも非情な事実に一瞬躊躇うが、正直に告げる。
「君は、命を狙われている」
急にそんな事を言われても誰だって悪い冗談にしか思えないだろう。しかしリリィは笑うでもなく怒るでもなく呆れるでもなく、真剣な様子で頷いてくれた。
「信じるわ」
俺が感謝を口にした瞬間、懐の端末が鳴る。目をやると管理者から一斉送信のメールが届いていた。
『デバイスの不調でターゲットの居場所の特定が出来なくなっていたようだ。今しがた復旧作業を終えたので、速やかに任務を遂行するように』
不自然なまでに死神が屋敷へ来ていなかったのはそのせいかと腑に落ちる。
「行こう、リリィ。もう時間がない」
俺は窓を開け、月を背に立つ。そしてリリィに手を差し伸べた。白いカーテンが風にあおられ、音を立てる。
頷いたリリィは両親へのメッセージであろう走り書きをした後、俺の手を取った。
華奢な体を抱き寄せる。俺を信じて命を預けてくれたリリィに、決意を込めて誓う。
「絶対に、君を守る」
リリィを抱えつつ、ぼんやりとした街灯に照らされた夜の街を駆ける。場所を把握されている以上無駄な抵抗かも知れないが、空を飛ぶよりも地上の方が目視されにくい筈。
リリィに持って貰っているデバイスを適宜確認しつつ、逃走ルートを構築する。こんなに頭を回すのは初めてかもしれない。
「怖くないか、リリィ」
「ええ、クロウが居てくれているから…大丈夫。でも…」
リリィが言葉を濁す。今自分の身に何が起きているのかが分からず、不安を感じているのだろうか。やはり…理由を話さずにいつ終わるとも分からない逃避行を続ける訳には行かない。隠し通すには無理がある。
死神の事。管理者の事。俺が今まで行ってきた任務。拒絶されたくないが為にずっと避けてきたが…全てをリリィに話すべきだろう。
口にすれば、もうただのクロウではいられなくなるとしても。
「…リリィ。君に、聞いて欲しい事がある」
腕の中で相槌を打っていたリリィは、俺が話し終えたのを察すると口を開いた。
「ねえ、クロウ。わたしをかばってしまったあなたは…どうなってしまうの」
俺は驚いて、息を呑む。
人間の本性は危機的状況になると表出されると、かつて管理者が言っていた。しかしリリィは事情を知って尚、命を狙われている自分の身を差し置いて真っ先に俺の身を案じてくれた。同胞を殺めていた俺を拒絶する事も軽蔑する事もなく…変わらず優しさを向けてくれた。
リリィを抱き締める手に、自然と力が篭もる。
「俺の事はいいんだ。気にしなくていい」
「……わたし、」
リリィの言葉を遮るかの様に端末が鳴った。今度はメールではなく着信だ。
「もしかして、管理者さん…?」
リリィの予想は正しかった。俺は思わず画面を凝視する。
…嫌な予感がした。出てはいけない気がした。
しかしこれはチャンスでもある。何故この特例を発令したのか問いただすのは、今しかない。
意を決するも、無機質に鳴り響いていた着信音はぷつりと切れた。恐らく管理者はいつも3コール以内に出ていた俺が直ぐに出なかった事で、何かを察したのだろう。
すぐに折り返そうとしたが、速やかに届いたメールの内容で断念せざるを得なかった。切れたのは電話だけではなく管理者との縁もだという事を理解するのに、十分だった。
『識別番号960がターゲットと共に逃走している模様。これより識別番号960を欠陥品と見なす。早急に裏切り者を始末しろ』
…当然の結果だった。特例を無視するどころか、ターゲットであるリリィを庇う行動に出ているのだから。仮に先程の電話に出ていたとしても、言い分を聞き入れては貰えなかっただろう。
胸が、ジクリと痛む。覚悟していた筈なのに。
これは俺の選択が招いた結果だ。リリィを守りたいが為に管理者を裏切ると決めた。己の意思で。
それなのに…何故、こんなにも苦しいのだろう。
「クロウ、大丈夫?とても…苦しそうよ。どこかで休憩しましょう」
「…俺は疲れない体だから平気だ」
「疲れてるのは体じゃないわ」
今にも泣きそうな顔で、じっと見つめられる。彼女に折れるつもりはないらしい。やむを得ず了承し、俺は路地裏に足を踏み入れた。
「こんな時にごめんね…でも、必要なことだと思って。とりあえず座りましょう、クロウ」
「分かった」
リリィの提案に従い腰を下ろす。
「クロウ…あの…」
「どうした?リリィ」
「わたしのことは離してくれてもいいのよ?」
「すぐに動ける様にしておかないと危険だ」
「そ、それはそうかもしれないけれど…お、重たいでしょ?」
「羽根みたいに軽いが」
「ええと…ええとね…」
言葉を必死に探すリリィの愛らしさに、心が安らいでいくのを実感する。眉間から力が抜けていくのが分かる。一層抱き締めると、リリィは観念したのか身を預けてくれた。
「こうしていると安心する…もう少しだけ、付き合って欲しい」
「う、うん」
何だかリリィの鼓動が速い気がする。それに、俺の鼓動も…。気のせいだろうか。
「…ねえ、クロウ。さっき言いかけたこと、言ってもいい?」
「ああ」
「あのね。わたし、クロウに守ってもらえてうれしいの。まるで物語に出てくるおひめさまになったみたい。でも…」
俺の肩に額を添え、リリィは続ける。
「クロウが傷つくのは、嫌よ」
…体の事だけではないだろう。きっと、心も。
「わたしのせいで、クロウが幸せになれないのは…絶対に、嫌なの」
所属していた組織を裏切り、結果命を狙われている。リリィからして見れば俺は幸せではないのだろう。
だが、それは違う。
「リリィは、俺に幸せをくれている」
俯いていたリリィが顔を上げる。その拍子に、瞳に潤んでいたらしい涙が一粒、ぽたりと落ちた。
微笑むリリィを抱き寄せる。
管理者を裏切った事への罪悪感は根強く残っているが、リリィを救うと決めた事への後悔はなかった。もしも彼女を見捨てていたら…自分を許せなかったに違いない。
「識別番号960及び特例対象を確認」
淡々とした機械的な声。音もなく現れた死神から発せられたものだった。
「クロウにそっくり…」
リリィが驚愕の声を漏らす。話は聞いていたとはいえ、背丈こそ違えど顔のパーツも声も同一と言って過言ではない程に似ているのだから無理もない。
リリィを背に、急ぎ鎌を影から取り出す。
「これより任務を遂行す…」
死神が言い終える前に、俺はその首を刈り取った。
情に訴えようにも、訴える情がない相手に話し合いは意味を成さない。かつての俺の様に、任務の事しか死神は頭にない。それ以外の事を考える許可を与えられていないからだ。
故に即座に処分するという判断を取り、先手を打った。
胴体から離れた首が地面に落ち…間も無く、体の方も膝から崩れ落ちる。完全に活動を停止した証拠だ。
「…此処はもう駄目だ。新手が来る前に行こう、リリィ」
『欠陥品』ではない死神を独断で手に掛けたのは、初めての事だった。言われてやるのと自分で決めてやるのでは違う。勝手に震える手がその事を思い知らせてくる。
だけど、これが選んだ道だ。リリィを守るという事は罪を重ねていくという事。それでも構わない。
…。
…そう考えている、筈なのに。振り返ろうとした足は…動かなかった。
リリィは慈悲深い少女だ。殺伐とした世界とは無縁の穏やかな環境で育ってきた。穢れを知らない心を持っている。
命を尊ぶリリィが、誰かの命を奪うなんて事を容認する筈がない。
リリィは一体、どんな目で俺を見ているのだろう。
静寂が辺りを包み込む。早く行かなければと告げる理性と裏腹に、指先一つ動かせない。そんな俺の手を…リリィは、そっと握ってくれた。
「わたし、最低だと思う。本当なら、こんなことしないでって…そう言わなきゃいけない」
声も手も、震えていた。
「でも…でも…まだ、死にたくないの」
当たり前の気持ちだ。理由も分からず殺される事を良しとする筈がない。しかし、リリィが死にたくない理由は…そうではなかった。
「だって、もっとあなたと一緒に生きたい」
俺の知る限り、リリィは誰かの犠牲の上で生き長らえる事を望むような人間ではなかった。そうするくらいならば自分が犠牲になる事を選んでしまう程の善性を持っている少女の筈だった。
俺の存在が、リリィの考え方を変えてしまった。変えざるを…得なかったんだ。
「お父さまもお母さまも、お屋敷の皆も…わたしを大切にしてくれる。体が弱いせいで迷惑をかけてるのに、嫌な顔をせずに接してくれる。わたしは、すごく恵まれてるって分かってる。でも…」
リリィは言葉を濁らせる。しかし、逡巡の末…ぽつりと口にした。
「寂しかったの」
リリィの手を握り返す。視線が交わる。
リリィの瞳に、俺を拒絶する意図は微塵も存在していなかった。きっと俺もそんな目をしていたのだろう。安堵の笑みを浮かべたリリィの頬に、涙がつたう。
「あの夜、クロウと出会えて良かった。あなたのおかげで…わたし、本当に幸せだった」
優しい思い出を胸に頷くと、リリィは俺の手を自身の頬に添えさせた。グローブに付いていた返り血が、リリィの頬を汚す。
「クロウは悪くない。守ろうとしてくれただけ。死神さんの命を奪ったのは…わたしよ」
「リリィ、それは違う。俺の罪だ」
グローブを取り、リリィの頬に咲いた赤色を消そうと試みる。けれど…それは広がるばかりで、消えてくれなかった。
「死神がリリィの命を脅かすなら、俺は何度でも同じ事を繰り返す。納得出来ないからだ。失いたくないからだ。これは…俺の我儘なんだ」
「あなたは、本当に優しいのね」
リリィの態度で察してしまう。いくら言葉を並べても、彼女の覚悟はきっと揺らがないと。しかし俺も譲る訳にはいかない。何度思考してもリリィに非はないという答えしか出ないからだ。
そんな互いに引けない状況に…望まぬ変化が訪れる。
死神の気配。それも複数。
長く留まり過ぎた事を悔やんでも遅い。
リリィを連れて逃げ切るのは難しいだろう。迎え撃たなくては。
鎌を再度手にし周囲を窺うも、襲ってくる様子は…ない。俺達が路地から出るのを待ち構えているのかもしれない。戦闘技術がない死神達にとって、狭い場所での混戦はやりにくい筈だからだ。最悪同士討ちになりかねない。尤も、任務を遂行する上で自らも同胞も犠牲になる事への躊躇いなど…死神には備わっていないのだが。
「リリィ。俺がもういいと言うまで、目を瞑っていてくれないか」
「ごめんなさい、クロウ。それは聞けないわ」
「…そう言うだろうと、思っていた」
「見届けさせて」
鎌の柄を握る手に力が篭る。
大丈夫。もう、迷いは無い。
死神を一掃し、俺はリリィの待つ地上へ降り立つ。血の雨が降る戦場を目の当たりにしたであろうにも関わらず、リリィは毅然とした態度で立っていた。
「守ってくれて、ありがとう」
「ああ」
リリィは胸の辺りを強く押さえていた。そして、遠目からでは分からなかったが…脚が微かに震えていた。
「ごめんなさい。あんな風に言っておきながら、わたし…」
「謝らなくていい。だが無理だけはしないで欲しい」
「…うん」
「行こう。また死神が来るかもしれない」
デバイスを見た所反応は無いが、油断は出来ない。俺は頷いたリリィを抱き上げる。
…そろそろ、夜明けが近い。
【Chapter.3】
朝日が昇り始めた頃。
眠るリリィを抱えたまま、俺は当てもなく歩いていた。
デバイスの充電は、もう尽きてしまった。死神の位置を気配で察する他ない。迂闊な行動は出来ない。
ただ幸いな事に、路地での戦闘以降は死神の姿を見ていない。複数相手に迎撃成功した事が功を奏したのだろうか。勿論油断は禁物だが。
暫くすると、人間が増えてきた。活動する時間になったのだろう。
俺の姿は人間には見えない。つまり、俺に抱えられているリリィは宙を浮遊している様に見える筈だ。このまま街を歩けば騒ぎになるかもしれない。それに、今死神が襲って来た場合…無関係の人間に害が及ぶかもしれない。もし巻き込んでしまったらリリィがもっと苦しむ事になる。それだけは避けなければ。
人の気配がない道に足を踏み入れた直後。落ちていたゴミを見て思い出す。
…人間は、食事を取らなければ生きていけないと。
「リリィ、腹は空いているか」
腕の中のリリィに尋ねる。しかし返事はない。眠っているからかと思ったが…様子が変だ。
頬が赤い。呼吸が荒い。苦しげに眉を寄せている。
嫌な予感がして額に手を当てると、燃える様な熱さだった。伝わる温度と裏腹に背筋が冷えていく。
俺は急ぎ羽織っていたローブを脱ぎ、床に敷いた。その上にリリィを寝かせる。だが、これ以上何をすれば良いのか分からず…高熱にうなされるリリィを前に、項垂れるしかなかった。
「すまない…リリィ…」
医者や病院の存在は知識として知っているが、人間界の何処にあるのかまでは分からない。デバイスが使用出来れば可能性はあったが…ないものねだりだ。だからと言って闇雲に探し回っている間にリリィが更に消耗してしまったら?最悪の事態は免れない。
このまま休んでいたら治るのだろうか。リリィの様子を見るに、とてもそうは思えない。
頭が、真っ白になっていく。
「うわぁ、可哀想に。心身限界だったんだろうねぇ」
俺は勢い良く顔を上げる。そこには、少女が居た。
「体が弱い子をあんなに連れ回したら、そりゃこうもなるさ。しかも現実離れしたスプラッタまで見せられちゃってるんだから。蝶よ花よと愛でられていた籠の中の鳥のお嬢様には、刺激が強過ぎるというものだよ」
少女は張り付いたような笑みを浮かべながら、ふわふわと宙を漂っている。額から伸びる水で出来た角を見るに、明らかに人間ではない。しかし…死神でもない。
「君は一体、何者なんだ」
「ボク?通りすがりの女神様だけど?」
「え…」
「何言ってんだこいつみたいな顔するなよ。事実なのにな。あはは!ウケる」
女神と名乗った少女は楽しそうに笑って、ふと我に返った様に再度口を開いた。
「ねえキミ。この子を助けたいかい」
「助けたい。何か方法があるのか?教えて欲しい」
間髪入れずに答えると、少女はにんまりとした笑みを見せる。まるで俺の心を見透かしたような表情だった。
「見ず知らずのボクに救いを求める程に追い詰められているのに、なぁーんにも出来ない…さぞかし悔しいだろうねえ」
反論の余地も無く黙り込む。少女はますます笑みを深くする。
「んふ、良い顔。キミにそっくりなあの子も…こんな顔をするのかな」
誰の事か問う前に、手が見えない程に長い袖の中で少女が指を鳴らした。その音を境に…リリィの呼吸が落ち着いた。額に手を当てると、瞬く間に熱が引いていくのが分かった。
「リリィ…!良かった…」
俺は少女に礼を言うべく顔を上げる。けれど…少女は跡形もなく消えていた。初めから誰も居なかったかのように、忽然と。
直接言う事は出来なかったが…穏やかな寝息を立てるリリィを抱き締め、俺は感謝を口にした。
「…ありがとう」
その後リリィは無事に目覚めてくれたが、病み上がりで体調が万全とは言い難い。とはいえ改善させる手段がない以上、このままでは元の木阿弥だった。逃げ続けた所で望む未来は得られないだろう。
「リリィ。冥界に行こう」
デバイスはもう使えない。直接会う以外で、管理者を説得する事は出来ない。
…一度出した特例を撤回させるだなんて、それこそ奇跡でも起きない限り実現不可能だと重々承知している。だが、残された道はこれしかなかった。
「管理者さんに会いたいのね」
「そうだ」
リリィは説明せずとも俺の意図を察してくれたらしい。
「分かったわ」
リリィを連れ、俺は故郷に帰還した。
「ここが…冥界…」
周囲を見渡すリリィの表情は困惑に染まっている。それも当然だった。人間界とこれといった差が無く、鏡写しの様に瓜二つなのだから。しかし、ある一点において明確な違いがある。
「とても静かね…」
そう、冥界は死神と管理者以外に生命が存在しない。リリィの手を握ると、彼女はほっとした顔で微笑んだ。
「クロウが居てくれて、よかったわ。もし一人だったらと思うと…」
リリィは首を軽く振って言葉を途切れさせた。
「ごめんね、大丈夫よ。行きましょう」
「ああ」
俺はリリィを抱え飛翔する。目指すのは、そびえ立っている高い塔だ。
リリィの不安を少しでも解消出来ればと、俺は冥界について知る限りの事を話した。
死神と管理者しか此処には居ない事。
死神の特性上人間のような文化を営む必要が無く、本拠地以外の建物は放置されている事。
まるで使っていた誰かが忽然と居なくなってしまったかのような状態の物が溢れている事。
人間界と似ている理由は分からない事。
…口にして初めて自覚した。これまで長く住んでいた場所なのに、違和感としか言えない不可解な要素が存在していると。
「管理者さんなら、何か知っていそうな気がするわ」
「…そうだな」
冥界で一番長く生きているのは紛れもなく管理者なのだから、それが一番確実だ。とはいえ教えてくれる可能性は限りなく低い。
「まずは仲直りね」
「…出来るだろうか」
「お互いに仲良くしたいという気持ちがあれば、絶対に大丈夫よ」
管理者に裏切り者と見限られた時、胸が傷んだ。悲しみが広がった。それは管理者を大切に思っていたが故…否、今でも思っているが故なのだろう。そうでなければ話し合いで解決するという発想は恐らく浮かばなかった。リリィの命を守る為、死神諸共管理者を手にかけようとしたかもしれない。
…ああ、そうか。俺はリリィの事も管理者の事も、諦めたくないのか。
好きな物と嫌いな物なら、どちらか選べと言われても簡単だ。だけど、好きな物と好きな物でどちらか選べと言われたなら?
選択肢は二つある。選べないと諦めるか、仕方なく片方を選ぶか。しかし掟破りの三つ目が…どちらも選ぶという選択肢が、ある。俺が選びたいのはその三つ目だった。
だが、それは。
「…俺は、我儘だ」
自分に呆れて思わず口にする。するとリリィはくすりと笑った。
「クロウは、もっとわがままでも良いと思うわ」
「そうだろうか」
「そうよ」
リリィの同意が、優しく背中を押してくれる。
管理者がもし俺と同じ気持ちで居てくれているのなら…きっと、可能性は0じゃない。
決意を改めた俺は、辿り着いた塔…死神の本拠地の扉を開く。
足を踏み入れた俺達を待っていたのは大勢の死神だった。
道中で妨害が無かったのは、少しでも頭数を温存しておく為だったのだろう。死神の指揮を取っているのは管理者だ。誰よりも俺の戦闘力を理解している。この采配には納得がいった。
俺はリリィを背に庇い、得物を構える。
死神全員を無理に振り切り目的地まで向かう訳にはいかない。管理者に会うには死神を一掃する必要がある。話し合いの場に水を差されてしまうからだ。
「待っていてくれ。すぐに終わらせる」
前を見据えながらリリィに声を掛ける。しかし…返事は無かった。不審に思って振り向くと、リリィは冷たい床に崩れ落ちていた。
「リリィ!」
急ぎ、俺はリリィを抱き起こす。
…顔色が優れない。病み上がりだった事で、体調の悪さがぶり返したのだろう。緊張や不安もそれを助長したに違いない。それでも気丈に振る舞ってくれていたのは、俺に心配を掛けさせない為だろう。
リリィは言葉を発する余裕も無いようで、眉を寄せ固く目を瞑っている。
動けないリリィを数多の死神が居る空間に無防備に寝かせておく訳にはいかない。俺は、リリィを片手で抱きかかえながら戦闘に臨む事となった。
…状況は、劣勢。
攻撃を捌く事で精一杯だった。身を呈して庇い辛うじてリリィが怪我を負う事は避けられているが、防戦を強いられているが故に一向に死神を倒せない。動きを制限されている以上、経験の違いも何もあったものではない。今の俺達は死神にとってただの的だ。
出血で朦朧としつつも、俺は前を見据えた。
リリィを守れなければ掲げた目標が潰える。諦める訳にはいかなかった。
だが…迎え撃つ事は出来ても、致命傷を与える為の一手を打つ前に距離を取られてしまう。これでは一方的に消耗させられるだけで勝ちに至れない。
そんな、絶体絶命の中。
「やあ、また会ったね」
目の前に突如現れたのは、以前リリィを助けてくれた不思議な少女だった。
「君は…あの時の…」
「ボロボロになりながら頑張る姿、とっても胸が踊ったよ。でも…放っておいたらキミ達死んじゃうでしょ?それだともっと面白いものが見られなくなっちゃうしさぁ」
少女はにんまりと笑いながら楽しそうに語る。まるで緊迫感が無く、此処が戦場であるという事を度外視した様な振る舞いだ。
困惑する俺と違い、死神達は異変に動じない。俺達の目の前に居る少女諸共攻撃するべく鎌を振りかざす。
「危ない!!」
俺の忠告を聞いていたのかいないのか少女は避ける素振りもなく、呆気なく全身をバラバラに切断された。
…された、筈だった。
少女の体から血が噴き出る事はなかった。まるで水を切ったかの如く、元通りになっていたのだ。
「さて、話を戻そうか」
何事も無かったように少女は微笑む。背中に一筋の汗が流れるのを感じた。
目の前に居る少女は只者ではない。
得体の知れない物を前にして胸にじわりと恐怖が広がっていく。気付けば俺はリリィを抱き寄せ、鎌を前に掲げていた。
「あはは!怖がらなくていいんだよ!ボクはキミ達と敵対するつもりはないし、むしろ守ってあげたいと思っている」
「…何が目的なんだ」
俺の問いに、少女は張り付いた様な笑みを浮かべながら答えた。
「面白い物語が見たい」
言葉の意味が理解出来ず沈黙する俺を見て、少女はくすりと笑って続ける。
「…だからね、重要なピースであるキミ達が欠けてしまっては困るんだ」
またも不可解な言葉を口にした少女は、漆黒のドレスを優雅にふわりとはためかせながら振り返り…静かな声で死神達に言い放った。
「あ、キミ達…もういいよ」
指を鳴らす音。直後、死神達が消し飛んだ。
髪の一本も残らなかった。まるで初めから何も無かったかの様に、存在を消されてしまった。
容易く行われた非現実的な光景に頭が追い付かないでいると、少女は満面の笑みで両手を広げ、高らかに言った。
「さあさあ、先に進むといい!あの子は今、地下に居る!」
少女の言葉に従う以外、選択肢は無かった。俺はリリィを背負い、地下へ続く螺旋階段を降りる。
…地下にあるのは培養施設だ。産み出された死神が生後暫く過ごす場所で、俺も例外ではなかった。
液体が満たされた培養器の中、機械に繋がれながらぼんやりと過ごしていた日々が懐かしい。他の死神と違い一向に体の成長が進まなかった事で、ガラス越しに見た管理者が頭を悩ませていた姿を今でも覚えている。
「…ああ。来たんだね、960」
聞き慣れた声が、俺の意識を現実に引き戻す。
「おかえり」
優しい笑み。穏やかな眼差し。お気に入りと公言してくれていた頃と同じ接し方だ。俺はこの人を裏切ったのに。
仲直りの兆しが見えて、期待が胸を打つ。だが…その後に続いた言葉は。
「背中に居るのは、特例のターゲットかい。わざわざ連れて来てくれたんだね。憎い小娘を、私自身の手で殺せる様に配慮してくれた訳だ」
管理者は見慣れた張り付けた様な笑みのまま、流暢に言葉を紡ぐ。まるで事前に用意していたかの様に。
「私が間違っていたよ…やっぱり960は、裏切り者ではなかった」
…管理者も、俺と仲直りをしたいと思ってくれている。しかし話を聞くにリリィを管理者へ引き渡すのが前提で、関係の修復はリリィを殺す事でしか成立しない。それでは…意味が、無い。
「960、ターゲットを此方に」
「出来ません」
管理者の申し出を、やむを得ず拒否する。管理者に対して首を横に振るのは初めてだった。
「…960、一つだけ言っておく。私は、私の命令を聞く忠実な駒しか要らないんだよ」
笑っているのに、冷たい。突き放されていると分かる。それでも引き下がれない。俺は再度同じ言葉を伝える。
「出来ません」
「何故?」
「失いたくないからです」
管理者の動きが止まった。
「俺は…リリィが好きです」
理由を口にした途端、培養施設にある無数の培養器が甲高い音を立てて弾け飛んだ。衝撃で生じた突風に乗って、割れた破片が縦横無尽に暴れる。勢い良く流れ出た培養液が床を満たしていく。
俺は咄嗟にリリィに覆い被さり、彼女を庇った。無事を確認し、今の出来事で目を覚ましたリリィを守る位置取りで、破壊の出処である管理者に向き直る。
「ごめんね、960。聞こえなかったよ。もう一度言って貰えるかな」
「何度でも言います。俺はリリィが好きです。大切だから、彼女を守りたい。生きていて欲しいんです」
出来る限りの言葉で訴え掛けるも、管理者は肩を震わせて笑うばかりだった。
「可哀想に…お前は小娘に誑かされているんだよ。予定より早いがメンテナンスをしようか。二度と馬鹿げた事を言えない様に」
「リリィは、誰かを騙す様な人間ではありません。優しくて…温かくて…周囲を幸せにする力を持っています」
「…お前が手遅れだという事は理解したよ。戯言はもういい。早くその小娘を渡せ。960、命令だ」
俺は首を横に振る。
「どうして…リリィの命を、狙うのですか」
「知る必要はない」
「知らなければ、命令に納得出来ません」
「納得する必要もない」
徹底した拒絶に、成す術がない。殺せと命じた程なのだからおかしくはないが、リリィと管理者に接点は無かった筈だ。それなのに何故こうもリリィを嫌うのか。そもそもどうやってリリィを知ったのか。想像が及ばず、いくら考えても答えは出ない。
「…あいつの言っていた通りだ」
管理者は先程までと違い、知らない物を見る様な視線で俺を見ていた。
「クロウ、というんだっけ」
何の感情も宿っていない瞳。
「今のやり取りで腑に落ちたよ。私の960はとっくに何処にも居ないんだとね。目の前のお前は960の皮を被った違う生き物なんだろう。だから私の意にそぐわない言葉を発するし行動を取る。そうだよね。当たり前だ。だって960じゃないんだもの。それなら仕方が無いし話す事も無いし躊躇う事も無い。私はクロウなんて奴と知り合いでも何でもないんだから」
駄目だ…まともに話し合いが出来る状態ではない。管理者はいつだって冷静で落ち着いた人だった筈なのに。このままでは、リリィに危険が及ぶのは時間の問題だろう。
鎌を手に取ると、管理者は一瞬目を見開いた。それから静かに瞼を閉じる。軽い溜息を一つ吐く。
「…やっぱりお前は偽物だ。960は、私に武器を向けるなんて愚かな事をしない」
羽織っていたコートを脱ぎ捨て、管理者は微笑んだ。冷酷に。無慈悲に。
「二人まとめて殺してやるよ」
【Chapter.4】
管理者が戦っている姿を、俺は見た事が無かった。戦えないのだとずっと考えていた。華奢な体躯からは運動が苦手そうに感じられるし、本を読むという大人しい趣味の持ち主だからだ。そして死神を管理する事に徹し人間界には一切出向かず、俺とリリィの命は死神を介して狙っていた。
だからこそ、先程培養器を破壊したのが管理者であるという事が信じられなかった。
規格外の力に任せ、破壊の限りを尽くそうとする戦い方。この細腕の何処にそんな筋力が備わっているのかと誰もが猜疑心に駆られるだろう。見た目と力が相反していてチグハグで滅茶苦茶だ。何よりも、傷付く事を全く厭わない捨て身に近い動きにゾッとする。
俺に管理者を傷付ける意図は無い。それでも攻撃される以上応戦しなければ、此方がやられてしまう。
避けるという概念が無いのか、管理者は俺の斬撃を何度もまともに食らっていた。なのに…体は綺麗なまま。怪我が治っていくからだ。あの少女の様に何事も無かったと言える速度とまではいかないが、怪我をしても瞬く間に元に戻るという現象は普通とかけ離れている。
重たい一撃を受け止めながら、俺は疑問を口にした。
「貴方は…一体…」
鎌の柄を支える手が震える。長く均衡を保てば耐え切れず破壊されてしまうだろう。
俺は何とか攻撃を逸らす事に成功し、リリィを抱えて管理者と距離を取った。指先が痺れているのを感じる。
「怖い?」
攻撃の手をぱたりと止めた管理者は、ぽつりと続ける。
「化け物だって、思う?」
儚げで縋る様な瞳に、心が揺さぶられる。思わず鎌を下げた拍子に、培養液がぱしゃりと飛沫を立てた。
静寂が包み込む。
「泣いているの…?」
沈黙を破ったのはリリィだった。管理者が浮かべているのは笑みであって、決して泣いてはいない。しかし…リリィは的外れな事を口にはしない。
「…あなたとクロウのやり取りを聞いてから、ずっと…考えていました」
リリィは想像力が豊かだ。沢山の本を読み、物語に触れ、キャラクターの気持ちに寄り添ってきた。きっと俺では辿り着けなかった答えを推測する事が出来たのだろう。
「あなたがわたしを嫌っている理由は、もしかして…」
言葉を遮る様に距離を詰めた管理者が、リリィに手を伸ばす。俺は咄嗟に間に入り込んだ。
「ぐっ…!」
勢いのまま俺に馬乗りになった管理者が、片手で首を絞めてくる。顔を真っ青にしたリリィが此方に近寄ろうとするのを制止してから、どうにか引き剥がそうと試みるが…ビクともしない。
「あは。馬鹿だな…泣く訳ないだろう、この私が」
笑みを湛えながら、管理者は空いた方の手で鬱陶しそうに前髪を掻き上げた。
「だって私は、化け物なのだから。不老不死の化け物。全てを破壊する化け物。愚かな人間達に作られた…紛れもない化け物」
管理者は化け物と口にする度、苦痛に苛まれる様に眉を顰めながら吐き捨てる。
「自分が一番分かってる。だから答える必要はない。何も言わなくていい。お前に拒絶されたら、私は…」
管理者の瞳から零れた雫が、俺の頬に落ちた。
「頼む…このまま死んでくれ」
遠のく意識を必死に手繰り寄せている最中…ふと、頭を過ぎった。
俺が死ぬ事で管理者が喜ぶのなら、これで良いのかもしれない。そんな考えが。
しかし、即座に否定する。本当に死んで欲しいと願っているのなら、こんなに辛そうな顔をする筈がない。泣く筈がない。
「貴方…は…」
化け物なんかじゃない。そう続けたかった。だけど、絞り出せた言葉はこれだけだった。酸素が足りない。呼吸が、出来ない。
せめて受け入れる意思の証明として、管理者の背に手を回そうとしたが…限界を迎えた体は言う事を聞いてはくれなかった。いよいよ意識が飛びそうになる。
その時。
「まあまあまあ、落ち着いて」
…あの少女の声だ。
「邪魔をするな…イオニア…」
「するに決まってるだろう。ほら、離れた離れた」
追い払う様な仕草をした少女…イオニアに助け起こされる。
「大丈夫かい?」
「…何、とか」
リリィに支えられつつ、咳き込みながらも答える。するとイオニアは俺達を庇う様に立ち塞がり、わざとらしい調子で管理者を非難し始めた。
「酷い事をするなあ、キミは!クロウが死んでしまう所だったじゃないか!」
「死んでしまうも何も殺すつもりだったんだ。早くどけ」
「いやいや、どいた所で結局迷うんだろ?殺すつもりだったなら、何故こんなにも時間が掛かっているのか理解に苦しむねぇ。殺しは大得意だろう?キミ」
管理者が舌打ちをする一方で、イオニアは…恐らく、いつもの様に笑っているのだろう。
「はいはい、お遊戯はもうおしまい。お楽しみはここからさ」
ふわりと宙を舞ったイオニアは、漆黒のドレスの裾を両手で摘み…流麗に一礼した。
「これからボクが語るのは、紛れもない真実だ。女神のプライドを賭けて断言する」
静かで冷たい淡々とした声。ゆったりと上げられた顔が作っていた表情は…ゾッとする様な笑みだった。
「これは、可哀想な実験体の物語」
むかしむかし、冥界には人間が住んでいました。
人間達の中には、不老不死になりたいと願う者がいました。その人間達はいつしか集まって、研究を始めました。研究には実験が付きものです。ですが不老不死の実験は残酷なもので、同じ人間を使う勇気はありませんでした。そこで考えたのです。
人間を模した実験体を作って使用すればいいと。
それからというもの沢山の実験体が生みだされては殺されていきました。死体で山を作ったら、きっと天まで届いたでしょう。
長い長い時が経ったある日、その研究を女神様が知りました。女神様は大層気に入りました。どんなに足掻いたって望んだって夢見たって実現不可能なのに…今回こそは、今回こそはと罪無き命を散らしていたのですから。
女神様はこの研究が成功したらどうなるのか見てみたいと思いました。そこで生みだされたばかりの実験体に目を付けました。女神様は実験体を自分と同じ不老不死の体にこっそり作り替えましたが…人間達は勿論、本人すらも気付いていません。
女神様の思惑は成功しました。研究が成就したと錯覚した人間達は無邪気に歓喜しました。けれどパーティが開かれる事はありませんでした。実験をくぐり抜けて憎悪を蓄積させた実験体がそれを許す筈がありません。とはいえろくに運動もした事の無い非力な実験体ですから、いくら不老不死とはいえ大勢に押さえ付けられてしまえば何も出来ません。
それではつまらないと、女神様は実験体に力を与えました。するとどうでしょう。実験体は大嫌いな研究施設も研究者達も壊し、果てには冥界をも壊そうとしました。
女神様に人間達は口々に言いました。
「どうか助けてください!」
「まだ小さい子どもがいるんです!」
「なんでこんな目に遭わないといけないんだ!」
「やりたい事が沢山あるのに!」
「怖いよう!」
「痛いのは嫌!」
「助けてください!」
「助けてください!」
「助けてください!」
「助けろよ!」
「お前があの化け物を作ったんだろ!」
「責任を取れ!」
ああ、これは大変です。
女神様は実験体の意識を奪い、その隙に冥界を複製して作った新しい世界に人間達を誘う事にしました。阿鼻叫喚の大避難。女神様は無様な光景を楽しく見守っていました。
さてさて、何とか無事にそれも終わって一件落着…と言いたい所でしたが、人々はそれだけでは安心出来ませんでした。恐ろしい化け物が此処にやって来るのではないかという恐怖で夜も眠れないと言うのです。無力でちっぽけな存在に死にたくない一心で必死に惨めにプライドを捨てて懇願された女神様は、願いを叶えてあげる事にしました。
実験体に冥界から出られない呪いを掛けたのです。
さあ、これでもう命を脅かされる事はありません!その証拠に、いつしか人々の顔には笑顔が戻っていました。
こうして…世界の平和は何十年何百年何千年経った今も、保たれているのです。
「めでたし、めでたし」
話し終えたイオニアは満足そうに微笑んだ。一体今の話の何処にめでたい要素があったのか、俺には分からなかった。どう考えたって悲劇だ。だってこれではあまりにも報われない。
「実験体は…どうなったんだ」
研究の為に生み出され、女神…イオニアに不老不死にされ、残虐な実験に耐えた末に限界を迎えて暴走し冥界に閉じ込められた実験体。それが本当に事実なら。作り話ではないのなら。
心当たりがあるのは、ただ一人だった。
「目の前に居る本人に聞いてみたらどうかな」
イオニアは茫然自失といった様子で立ち尽くしている管理者を見つめている。外れて欲しかった予想が、当たってしまった。
実験体とは管理者の事だったのだ。
傍らのリリィも言葉を失ってしまったらしく、苦しそうな表情を浮かべながら胸の前で手を固く握っている。
「ま、頭の整理やら何やらで忙しいだろうから、ボクが代わりに教えてあげるね」
誰も頼んでいないのに、イオニアは嬉々として語り始めた。
冥界に独り取り残された実験体は、暫く自暴自棄になった後で一つの目的を見出しました。それは自分を不老不死の体で生み出し散々な目に遭わせた挙句冥界に閉じ込めた人間達へ復讐する事でした。
ですが、そうは言っても冥界から出られない以上は何も出来ません。実験体は困っていました。それを見兼ねた女神様は実験体の前に姿を現し、教えてあげました。冥界から出られないなら、代わりを作ればいいのだと。
女神様に色々な事を教わった実験体は、やがて自分そっくりのクローンを沢山作りました。女神様がどうしてか問うと、自分以外は信用出来ないからと言いました。いくら見た目が似ていても心は別物だよと女神様は言いました。それなら心なんて持たせなければいいと、実験体は言いました。
実験体は作ったクローン達を死神と名付けました。名前の付け方が分からなかったので、かつての自分がそうだったように識別番号を割り振りました。そして冥界に縛られるという制約の無い死神達を人間界に送り出しました。女神様は期待していました。きっとこの死神を使って人間界を滅茶苦茶にするつもりに違いありませんから。
だけど…実験体の思惑は違っていたのです。死んだ人間の魂を集めさせて、新しい死神作りの材料にする。その繰り返しでした。
女神様はガッカリしました。どうしてそんなつまらない事をやるのか理解出来ませんでした。すると実験体は言いました。終わらない命を持っているのに一瞬で復讐を成してしまったら、何をして生きていけばいい、と。永遠の命を持て余し常に暇潰しを探して世界を渡り歩いていた女神様には、心当たりがありました。女神様はこの憐れで哀れで頭の良い実験体を気に入り、飽きるまで観察する事にしました。
やがて…気が遠くなる程の月日が経ち、識別番号960という死神が生まれました。
他の死神と違い体の成長が中途半端に止まってしまった960は、言うまでもなく目立つ存在でした。そして身長は勝てなくとも、他の死神と頭一つ抜けた長所がありました。960は戦いのセンスに優れていたのです。960に一目置いた実験体は、心を持ってしまった死神の処理を一任する事にしました。960は従順に了承してくれました。
淡々と任務をこなし続ける960を、実験体はいつしか信頼するようになりました。部屋に呼んで、自分なりに不器用ながらも可愛がっていました。
誰かを信じる事が怖い実験体が唯一心を開けた拠り所…それが960でした。
しかしある時、女神様の口から知ってしまったのです。
960が、とある人間と逢瀬を繰り返している事を。
「黙れ」
「自分のお気に入りが人間に奪われたと知った実験体は」
「黙れ」
「特例と称してその人間を消そうとしました」
「黙れ!!!!!!!!!!!!」
号哭。
目を逸らしたくなるくらい痛ましいのに、俺は管理者から目を離せずにいた。逃げてはいけないと思った。受け止めなければいけないと思った。
俺がやってしまった裏切りは、管理者の心をどれ程に引き裂いてしまったのだろう。知らなかったから、では言い訳に過ぎない。
「…やっぱり、クロウの事が大好きだったのね」
リリィが納得した様に呟く。イオニアの話を耳にする前から、わずかな手がかりを元に管理者の心に寄り添い考えた結果、とうにその結論に辿り着いていたのだろう。
俺は俯いたまま微動だにしない管理者に、掛ける言葉が見つからなかった。
逡巡しているその隙に…イオニアは笑顔で捲し立てる。
「元々不老不死として生まれてしまったのだと思っていたのにそれがボクの仕業だったと知った気分はどうだい?自分を冥界に閉じ込めたのは人間だと信じて復讐していたのにボクがやったのだと知った気分はどうだい?復讐の協力者だった筈のボクがそもそもの原因だったと知った気分はどうだい?何よりも大切な子を大っ嫌いな人間に奪われた気分はどうだい?ねえねえねえねえ教えてくれよ!」
本人ではないのに耳を塞ぎたくなる程の言葉の刃だった。管理者は返答しなかった。当然だ。今の感情を表現出来る言葉なんてこの世に存在しないに決まっていた。
イオニアはそんな管理者の顔を覗き込んでから、心底楽しそうに感想を述べる。
「あはは!いいねぇ!ボクを殺したくて堪らないって目だ!」
俺に対しての迷いが込められた殺意とは違う。激しい憎悪を燃やした本物の殺意が管理者の中に渦巻いているのが分かる。それでも尚イオニアに手を出していないのは、分かっているからだ。
絶対に敵わないと。
「このネタばらし、いつしようかずっと考えていたんだよ。そしたらまあ良いタイミングでキミのお気に入りが人間の女の子と偶然出会って仲良くなって相思相愛になるもんだからさぁ!え、こんなに運が悪い子他にいないだろ!?って!あは!あははは!!可哀想で可愛そうで最っっっ高だなぁ!!!」
「もう、やめてくれ」
腹を抱えて笑っていたイオニアは、ぴたりと動きを止めた。
「これ以上…傷付けないでくれ」
俺を暫し見つめた後、イオニアは辛抱堪らない様子で噴き出した。
「え!?キミが!?他ならぬキミがそれを言うんだ!?あっは!この子がこうなった要因にキミは深く深く関わっているんだよ!?それ分かって言ってる!?」
「分かっている」
「ええ〜!分かってないだろ!よくそんな事言えるな〜!はあ面白い最高過ぎる生かしておいて大正解だった…というかリリィ、キミはそれでいいの?嫌じゃない?クロウが二股しようとしてるけど?」
リリィは毅然とした態度で答えた。
「大切な人は、一人であるとは限らないわ。それに、二股という表現だと語弊が生じると思うの」
動揺の片鱗も無く、リリィは落ち着いた様子で尋ねてくる。
「わたしへの好きと管理者さんへの好きは、ニュアンスが違うよね」
「ああ。だが、それをどう伝えたら良いのか…」
「…ねえ、クロウ。わたしと居るとどんな気持ちになる?」
「安心する。同時に、心臓の鼓動が速くなる」
「そう…わたしもよ。管理者さんへはどうかしら?」
「安心感はあるが、鼓動は落ち着いたままだ」
リリィは、温かな笑みを浮かべながら頷く。
「わたしに抱いているのは恋心…管理者さんに抱いているのは愛情ね。どきどきするか、しないか…それが違いだと考えているわ」
リリィは胸に手を当て瞳を閉じる。穏やかな表情と共に彼女は続けた。
「わたしも家族に愛情を持っているし、特別な存在よ。恋してるクロウも、愛してる家族も、どちらもとっても大切」
リリィはイオニアに向き直り、微笑みながら断言する。
「だから、わたしは全く嫌じゃない。クロウは間違っていないもの。愛する人を大切に想う、素敵な人よ」
「…ふふ、そうかい。どうやらキミはボクの想定以上にしっかりした子のようだね。もっとドロドロした昼ドラ展開を予想していたのだけど、見事に裏切られたよ。うん、面白い」
黙っている間に頭が多少冷えたのか、イオニアは冷静な声で感心したようにそう言いながらリリィの頭を撫でた。そして管理者を後目ににんまりと笑う。
「まあ…クロウとリリィが納得していてもこの子がどうかっていうのは、別の話なんだけどね」
暫く経ち、管理者は長い沈黙を破り…ぽつりと呟いた。
「…疲れた」
強ばっていたであろう足が崩れ、膝立ちになった管理者は…地面に落ちていたコートを抱き締める。それから、ぽつりぽつりと独り言をするように心情を吐露していった。
「一人は嫌だった。でも誰も信じられなかった。死神ですら信用出来なかった。感情を得た死神はいつだって命令に背いて私の元を去っていく。信用したら裏切られた時に辛い。なら、もう一人でいいと思った。でも…960の事は信じたくなった。信じて、しまった。私は命令する以外でのコミュニケーションの取り方を知らなかった。愛し方を知らなかった。生まれた時から命令されていたからそれが普通だった。生まれた時から愛されなかったからそれが普通だった。だから960がもし感情を得てしまったとしたら、私の元に繋ぎ止めておける自信がなかった。実際960はリリィを選んで私の命令に背いて敵になってしまった。不老不死で良かったと思った事は一度もない。化け物だって分かったら960は私の元から居なくなってしまうかもしれない。考えただけで怖かった。絶対にバレたくなかった。でも…バレてしまった。どれだけの時が流れても終わりが来ない人生に希望を感じた事はない。普通に生きて死ぬ事がどれだけ憧れだったか。そういうものとして生まれてしまったのだからと思えば、諦めもついた。だけど私は最初から不老不死だった訳ではなかった。なんで私がこんな目に遭わないといけなかったんだ。他にも実験体は沢山居たのに。なんで?なんで?なんで?もう疲れたよ。もう嫌だよ。誰も私を助けてくれない。誰も…」
それは包み隠さず明かされた、悲痛な本音だった。
俺は管理者の傍に歩み寄り、そっと抱き締める。抵抗は…されなかった。初めて密接に触れて今更気付く。
管理者からは鼓動を感じる事が出来ない。
本当に、不老不死なのだ。嘘であって欲しかったイオニアの話は…真実だった。
「…ちゃんと、今の俺を見てください」
管理者は恐る恐るといった調子で顔を上げる。
「貴方の事を嫌っているように、見えますか」
「…見えない」
「貴方は俺の事、嫌いになってしまいましたか」
「…なって、ない」
消えそうな程か細い声だったが、俺の耳にはちゃんと届いた。
「嬉しいです。貴方は、かけがえのない大切な人だから」
管理者は一瞬目を見開き、それから再び俯いた。
「私を、人扱いするんだね。実験体でもなく、化け物でもなく…」
俺が抱き締める力を強くすると、管理者は小さく笑った。
「ばか。苦しい」
「…ごめんなさい。沢山、貴方を傷付けてしまった」
次々と溢れてくる涙が、管理者に降り注ぐ。
「私の方こそ、大人げなかった。短期間でここまで立派になったお前に比べて…情けないよ。ただ長生きするだけでは、成長は出来ないね」
穏やかな声。いつもの管理者だ。
「これからも、一緒に居てくれますか」
頷いてくれた管理者を、黙って抱き締め続ける。
「仲直り出来たわね」
温かなリリィの祝福。それを境に、イオニアから笑顔も余裕も消えた。取り乱したイオニアは矢継ぎ早に言葉を繰り出す。
「え?え?え?それ演技なんじゃないの?油断させてクロウを殺してリリィも殺すんじゃないの?そうだろ?何故何もしないんだ?裏切り者だぞクロウは!泥棒猫だぞリリィは!なんで笑顔でほっこりしてんだよ!全部知って狂って堕ちて何もかもぶっ壊して正気に帰って絶望の底に沈んだ後でボクに殺してくださいって懇願するのがハッピーエンドだろうが!!!やだ!!やだやだやだやだ!!面白くない!!こんなバッドエンド認めない!!ボクの思い描いてたシナリオじゃない!!!」
管理者はリリィを手招きした。彼女は大人しく従う。殺す為に呼んだのではないと分かっているからだろう。
「…私はお前にどうしたって勝てない。殺したい程に憎いお前を殺す事が出来ない。だけど唯一、お前を心底不快にさせる方法があるんだよ。歪んだ感性を持ったお前は絶望を娯楽にする…それなら」
俺達を抱き寄せ、管理者はイオニアに言い放つ。
「全員で幸せになればいい」
するとイオニアは、燃え滾っていた炎が瞬時に消え去ったかの様に…表情が消えた顔で言った。
「飽きちゃった」
俺達に背を向け、やれやれと肩を竦める。
「キミ達は期待外れの駄作だ。別の世界に行って新しい玩具を探す事にするよ」
「それは残念だな。二度とその面を私達に見せるなよ」
笑顔で別れを告げた管理者に、イオニアはわざとらしく振り向いて意地悪く微笑む。
「ああ、そうそう…ボクにはポリシーがあってね。飽きるまで楽しんだ後は、褒美を与える事にしているんだ」
怪訝そうにする管理者へ、イオニアはこう告げた。
「キミの願いを一つ叶えてあげるよ」
【Epilogue】
「オルカ」
私は手元の本から視線を外し、顔を上げる。
「リリィを連れて来たぞ」
クロウの傍らに立っているリリィが朗らかに微笑む。
「こんにちは、オルカ。此方の生活にはもう慣れた?」
閉じた本の上で肘をつきながら、私は答えた。
「想像以上に騒々しくて、ちょっと疲れてる」
「今の冗談か?」
「んー。本音を入り混ぜた冗談って所かな」
「あら、クロウも言葉遊びが分かるようになったのね」
「そうみたいだよ。理解出来なくてきょとんとしてた頃も、中々に愉快だったけどね」
「どういう意味だオルカ!」
むくれるクロウを適当にあしらうと、ますます頬を膨らませた。するとリリィがその頬をつつき始める。私も便乗してみた所、すっかり拗ねたらしいクロウは外に逃走してしまった。
リリィが謝りながら連れ戻そうと後を追って部屋を出て行く。その様子を見届けた後…私は窓の外に目をやった。日の光を浴びて咲き誇る白ユリが眩しくて、つい瞳を細める。
…今の私には、冥界から出られない呪いは掛かっていない。イオニアに願いを叶えて貰ったからだ。
不老不死を解いて貰おうとも考えたが、今まで蓄積された時間が即座に体に反映されると聞いて諦めた。何千年も生きているのだから、何が起きるかなんて考えるまでもない。これからだという時に死んでしまったら、それこそイオニアの思うツボだ。
ではどうするかと出した答えが、人間界へ行くというものだった。惰性で続けていた復讐はもはや意味も無ければやる気も霧散しているし、長い退屈を紛らわせるには丁度いいと思った。何より死神であるクロウは不死ではないにせよ寿命がある訳でもない。一人にならないなら不老不死を妥協出来る、という結論だ。
そうして後にした冥界は、クロウと私が人間界に降り立った途端、誰も居ない事で存在意義を無くし消滅してしまった。同時に人間界に歓迎されたらしい私達は、人間に視認されるようになった。見た目が変わらない以上、一箇所に留まると不都合が生じるのは明白だった。故に各地を転々とする事にして…今は所謂旅の最中だ。幸い食事も睡眠も必要無い私とクロウは、金銭が無くとも暮らしていける。
病弱だったリリィは少しずつだが元気になっていて、近々念願の学校に通えるのだという。大人になったら三人で旅をしようと、約束している。
オルカという名前は、リリィが考えてくれた。生きていく上で名前が無いのは不便だろうというのが経緯だった。呼ばれる度に自分が受け入れられていて、存在を認められている気がして…嬉しかった。
「オルカも手伝って!」
窓の外から、リリィの声が聞こえる。どうやら苦戦しているようだ。
「今行くよ」
椅子から立ち上がり、部屋を後にする。光に身を投じる。晴れやかな笑みを、携えて。
生きていく。