「良かった!晴れた!」
窓から身を乗り出したクロウは、干された布団の様な体勢で笑みを浮かべる。ソファに腰掛けていたオルカは、呆れた表情を浮かべながら立ち上がり、指先でクロウのマフラーの端をくいと引いた。
「落ちるよ」
「飛べるから大丈夫だ!」
「落ちない様な行動を心掛けろって言ってるんだけど」
ハッとした様に体をぴくりと震わせたクロウは、素早く上半身を再度部屋に収める。それから速やかにぺこりとオルカに頭を下げた。
「心配を掛けてすまない」
「…」
「これから気を付けるから許してくれ」
「別に怒ってないし」
「優しいなぁオルカは」
「うるさいなぁクロウは」
「えっ…大声出してないのに…!?」
オルカがやれやれと肩を竦めた時、客間の扉が開く。間も無くしてリリィの声が明るく弾んだ。
「二人共、お待たせ!」
リリィが何処かそわそわした様子で案内した庭園内のガゼボには、アフタヌーンティーセットが燦然と輝いていた。
「わああ!凄い!美味しそうだ!いや、絶対に美味い!食べる前から分かる!」
全身全霊ではしゃぐクロウを、リリィは嬉しそうに見つめる。
「ふふ、そうだと良いなぁ…」
隣に佇んでいたオルカは、彼女の独り言を聞き逃さなかった。一つの仮説を胸に口を開く。
「もしかして、全部リリィが?」
「ええ!使用人さん達に教えて貰って、密かに特訓しててね…!やっとお披露目出来たわ!」
達成感に満ちた晴れやかな笑顔。オルカは呆気に取られて目を丸くする。
「凄いね」
考える前にといった調子で、素直な賛辞が零れ出た。リリィの頬がほんのりと色付く。
「いつか二人に、わたしが作ったものを食べて欲しいなと思っていたの」
照れ臭そうに告げられた言葉に、オルカの口元に自然と笑みが浮かんだ。クロウは…テーブルを背に、小刻みに震えている。
「リリィの…手料理…!!!」
「そうよ、クロウ!お口に合うと良いのだけど…!」
「大丈夫だ!!!空気からもう美味いぞ!!!」
朗らかに笑い合う二人を交互に見つめ、オルカはリリィの席の椅子を引く。病弱だった筈の少女は、今や一人でアフタヌーンティーをセッティング出来る程に回復している…とはいえ、体を気遣ったのだろう。
「ほら、座って」
「まあ…!ありがとう!」
「どうって事ないよ。これだけやって貰ったんだから当然だ」
「優しいわね、オルカ」
「…」
腰掛けて微笑むリリィから、オルカはふいと目を逸らす。すると今度はクロウと視線が合った。
「俺も同感だ。オルカは優しい」
真っ直ぐな言葉。かつては想像も出来なかった、柔らかな笑み。
クロウはリリィに似ている。感受性や言動の傾向、心の動き。クロウは、リリィの影響を受けたからこそクロウになったのだ。
その事実に改めて納得した様に、オルカは瞳を細めた。
嫉妬ではない。憎悪でもない。
ただ、愛おしげに。
「…優しいなんて、言われる日が来るとはね」
雨上がりの空の下、クロウが声と体を弾ませる。
「サンドイッチ…スコーン…ケーキタルトマカロン…ど、どれから食べるべきだろうか…!?リリィのオススメは!?」
「ふふ、そうね…スコーンは焼いたばかりで温かいから、きっと食べ頃よ」
「よーしスコーン頂きまーす!!」
100%素直で構成されたクロウは、満面の笑みでスコーンを手に取る。
「わ、本当だ!温かい!」
事前に決めてあったクロウとオルカの訪問時刻に合わせて焼かれたスコーンは、熱過ぎず食べやすい丁度良い塩梅に仕上がっていた。
割れ目に沿って半分に割ると、香ばしい香りがふわりと溢れ、クロウの鼻腔をくすぐった。
「感動で涙が出そうだ」
「まだ食べてないのに…?まあ、気持ちは分からないでもないけど」
鼻を啜るクロウに苦笑しながら、オルカは紅茶に口を付ける。
「…あ、美味しい」
食に然程興味が無いオルカだが、リリィの屋敷で飲んで以来、紅茶は気に入っていた。大切な友人であるリリィが淹れたとなれば、美味しさもひとしおなのだろう。
感情面を抜きにしても、特訓したリリィが淹れた紅茶の出来は温度も風味も申し分無い。
「良かったぁ…!茶葉はね、昨日摘んで仕込んでおいたのよ。少し筋肉痛になっちゃった!」
力こぶを作る動作をしたリリィに、オルカは参ったと言わんばかりに息を吐いた。まるで白旗の様に、紅茶の湯気が揺れる。
「全く、君には敵わないな…」
「沢山おかわりしてちょうだいね!」
「せっかくの機会だ。遠慮無く頂くよ」
ポットを一瞥し、オルカは続ける。
「私の体は、カフェイン中毒の心配が無いからね」
不老不死であるオルカに備わる治癒能力が、まさかの場面で役に立つ瞬間であった。
クロテッドクリームとジャムをたっぷり塗ったスコーンを幸せそうに頬張っていたクロウが手を上げる。
「ふごごふごふごふご!(俺もいっぱい飲む!)」
「お前は精々三杯までだね」
「ふごごごー!!(なんでだー!!)」
「健康の為だよ。諦めなさい。死んだらどうするの」
オルカに嗜められたクロウはぐうの音も出ず、つい先程までグビグビ飲んでいた紅茶をちびちびと大切そうに飲み始めた。既に三杯目…最後の一杯だからだ。
「死ぬのは嫌だ…死ぬのは駄目だ…」
「よろしい」
「また、別の日にもお茶会しましょうね」
リリィの提案に、お通夜状態だったクロウが復活した。勢い良く顔を上げ、風を切って頷く。
「うん!!」
それからも楽しい時間は続いた。
クロウの好物である肉を用いたローストビーフのサンドイッチや、色とりどりのスイーツ達。それらをつまみながら、談笑は絶えなかった。
クロウとオルカの旅の話。
リリィがもうじき通う中学校の話。
これから先の未来…三人での、旅の話。
胃も心も十分に満たされた頃。クロウが唐突に空を指差した。つられて二人が顔を向けた先には…。
「まあ…!綺麗!」
空を横断する、大きな虹がかかっていた。
「こんなに大きな虹、久しぶりに見たわ」
「もっと近くで見ないか!?」
「お前まさか…」
「虹の橋を皆で渡ろう!!」
「飛ぶ気満々だな…」
クロウは椅子から降り、両手を腰に当てて胸を張る。
「美味しい手料理でフルチャージだから安心してくれ!」
「ふふ、嬉しいわ!それに、お空をお散歩するのって楽しいわよね!」
乗り気なリリィが立ち上がる。
「昔のリリィが言ったら別の意味に聞こえてたな…」
ぼそりと呟いたオルカは変わらず紅茶を飲み、二人で行って来いと態度で示す……が。
「ほら、オルカも!」
「行きましょ、オルカ!」
クロウとリリィがぐいぐいと両側から腕を引っ張った事で、観念してティーカップを置かざるを得なかった。口に運べない以上、強制的にティータイム終了である。しかし表情は満更でもない。
「仕方ないな…」
「やったー!やったー!」
無邪気に喜ぶクロウの隣で、リリィがぽんと手を打つ。
「せっかく虹の上をお散歩するんですもの…!記念写真お願いしなきゃ!二人共、少しだけ待っていてちょうだい!」
リリィは楽しそうな笑みのまま軽快な足取りで屋敷に走って行く。運動に慣れていないが故の辿々しい動きは、とうに昔の記憶だ。
背と髪が伸びた彼女を見送りながら、オルカは脳内で写真のイメージを思い浮かべる。虹の上に映る自分達の姿を。
「クソコラみたいになりそう」
「くそこら?大便が怒るのか?」
「食事中だったら出禁になってたよお前」
「やだ!お茶会出来んのはごめんだ!出禁なだけに!」
「ちょっと上手いのが腹立つな…」
ドヤ顔のクロウの背中に、オルカはぺしんとコートの袖をぶつけるのだった。
…この日撮った写真がリリィの部屋に額縁入りで飾られる事になるとは、オルカは欠片も想定していなかった。