旅の最中。夜を迎えたクロウ、リリィ、オルカは宿泊先のホテルへ向かった。
柔らかな笑みを湛えたリリィが、受付に声を掛ける。
「こんばんは。予約していた、ベネットです」
リリィの人当たりの良さだろうか。話好きな受付だったからだろうか。ルームキーを受け取った後も、暫く会話が弾んだ。
三人並んで廊下を歩いていると、不意にオルカが肩を震わせた。
家族旅行だと勘違いしていた受付が『息子さん、旦那様にそっくりですね』と発言した際、クロウがそれはもう自慢げに言ったのだ。
『妻も息子も俺の誇りです』と。
「あの心底驚いた顔…」
「不思議だよな。何故ポカンとしていたんだろう」
クロウが首を傾げる。全く心当たりが無さそうな反応に、何とか耐えていたオルカはいよいよ小さく噴き出した。他の宿泊客の迷惑にならない様、コートの袖で口元を押さえながら笑うオルカの目尻に、じわりと涙が滲む。
唸りながら腕を組み思考していたクロウが、ぽんと手を打つ。
「しまった!訂正するのを忘れていた。オルカは男性ではないから、息子という表現は間違っていたな」
違うそうじゃないと言いたげに力無く首を横に振り、オルカはようやく突っ込みを入れる。
「そもそもお前の方が、私の子どもみたいなものだろう。クローンなんだから」
「あ」
二人のやり取りを楽しそうに聞いていたリリィが、顔の前で指先を合わせて微笑む。
「ふふ…いつか、本当に三人で家族になれたらいいわね」
彼女の意図を察したオルカは、微笑ましげに瞳を細めた。
リリィの想いは、何年経っても変わらなかった。大人になったら三人で旅をしようという約束が果たされている現状が、それを物語っている。
学校に通える様になり、リリィの交友関係は必然的に増えた。子どもから大人になるまでの期間で、沢山の出会いがあった。それでも彼女は、クロウの事もオルカの事も片時も忘れた事など無かった。
リリィの中には、色褪せない愛が確かに存在している。
きっと…これからも、ずっと。
「そうだね」
リリィを信じているが故に、オルカは同意する。するとクロウが目を丸くした。
「ええ!?リリィとも家族になれる方法があるのか!?」
クロウが嬉しそうに跳ねる中、リリィとオルカは顔を見合わせ、微笑むのだった。
荷物を部屋に置いた三人は、夕食を取るべくホテル内のレストランに足を踏み入れる。
「まあ!ビュッフェみたいね」
リリィが瞳を輝かせ、嬉しそうに言った。お嬢様でありながら…否、お嬢様であるが故に。使用人が何でもしてくれていた経験を持つリリィは、自分の事を自分で出来るセルフサービス式に心惹かれるのだろう。
トレーを手にしたリリィの背中を見守りつつ、クロウがオルカに話し掛ける。
「ビュッフェはいいよな。好きな物を選べるし」
「ちゃんと野菜も食べるんだよ」
「やだ」
クロウもオルカも食事を取る必要は無い。故に、栄養素を気にせず好きな物を食べるという選択が取れる。つまりオルカはクロウが野菜嫌いなのを知っている上で、わざと口にしたのだ。
「今日こそリリィに良い所見せなさい」
「うっ…で、でも野菜は美味しくない…肉がいい…」
「リリィ。クロウがサラダ山盛りで食べたいって」
青ざめたクロウはリリィに声を掛けようとするオルカを全身全霊全力で阻止する。
「こらー!しー!やめるんだ!取ったら絶対食べないといけないんだぞ!」
「はいはい、冗談だよ。ごめんね」
むーっと頬を膨らませるクロウの頭を、オルカはコートの袖の端でぽんぽんと撫でる。その表情は至って穏やかで、幸福が滲んでいた。
「頂きまーす!」
ハンバーグ、からあげ、とんかつ…カロリー爆弾と呼べる茶色い肉料理がこれでもかと盛られた皿を前に、クロウは心底嬉しそうに合掌する。
「頂きます」
瞼を閉じ、祈る様に合掌したリリィが続く。クロウとは対照的に、野菜中心の健康そうなメニューだ。
「…頂きます」
オルカの皿には、クロウとリリィに選んで貰った料理が盛られている。食への興味が薄いオルカは好き嫌いが無い。せっかく食べるならと、二人にいつも選んで貰っているのだった。
制御困難の怪力を持つオルカだが、練習を重ねた事で今は食器を扱える。とはいえ繊細な作業であり、食器を変形させない為にも気を抜く事は出来ない。
「うん、美味しいな!」
しっかり味わいつつ、クロウは笑顔でみるみる料理を平らげていく。
「ふふ…クロウ、ほっぺにケチャップが付いてるわよ」
愛おしそうに微笑んだリリィが、ナプキンを手に取る。
「ん。ありがとう、リリィ」
大人しく頬を拭われている光景は、側から見れば親子の様だ。二人は一応、恋人同士である筈なのだが。オルカは先が思いやられると言いたげに遠い目をするも、双方幸せならそれで良いかと思い直したのだろう。笑みを携え、料理を口に運んだ。
「美味しいね」
「な!」
「わたし、いくらでも食べられそうよ。沢山おかわりしようかしら」
リリィが片手を軽く握る。クロウの食べっぷりに感化されたのか、張り切った様子だ。
「お腹壊さないでよ、リリィ」
「まあ…オルカったら心配性ね。ありがとう。でも大丈夫よ!わたし、すっごく元気になったんだから」
その言葉通り、リリィが体調を崩す頻度は年に数回程度に収まっている。健康な人間そのものだ。食が細く病弱だった頃の面影は、もう見当たらない。
「一秒でも長く、三人で過ごせる様に…沢山食べて、うんと長生きしなくちゃね!」
前向きなリリィの言葉に、クロウとオルカが頷く。
「よし!第二陣を取りに行こう!オルカもちゃんとおかわりするんだぞ!」
「ええ…私も…?」
「当然だ!俺が選んでくる!」
「クロウ、わたしも選びたいわ!待っててねオルカ、さっき食べたお料理がとっても美味しかったの」
席を立ったクロウを、リリィが弾む足取りで追いかける。何年経っても無垢な二人を瞳に映し、オルカは肩を竦めるのだった。
その後…夜の10時を迎えた。健康の為に毎日8時間の睡眠をとる習慣を付けているリリィが就寝した事で、クロウとオルカは宿泊部屋をそっと後にする。
二人共必要が無いとはいえ、決して眠れない訳ではない。リラックスすると意識を手放す事もある。しかしオルカは、眠ると決まって悪夢を見てしまうという。クロウとリリィがそれを知って何もしない筈もなく、三人で相談した結果…お互いの為、夜が明けるまで別行動を取る事にしたのだった。
ラウンジを訪れたクロウとオルカは、それぞれソファに腰掛ける。それから間も無くして、どちらともなく口を開いた。
管理者と識別番号960だった頃は到底無縁だった会話という行為を楽しむ。いつも一緒に居るというのに、不思議と二人の話題は尽きなかった。
「そういえば、昼間見かけたドレス…凄く綺麗だったな」
偶然通りかかった店に飾られていた可愛らしいデザインの白いドレスに違いないと、オルカは確信する。
「きっと、リリィに似合うだろうね」
「ああ!絶対似合う!というか、リリィは何でも似合う!」
「はいはい」
好きを隠そうとしない素直なクロウと違い、オルカは心の中で同意した。
「お金を稼いでプレゼントしたら、喜んでくれるだろうか」
「大胆だな」
「えっ…服を贈るのって、そんなに変か?」
クロウはあのドレスが特別な物だという事を知らないのだろう。そう悟りつつ、オルカは首を横に振る。
「変じゃないよ。リリィなら絶対、喜んでくれるさ」
「うん!」
にこにこと笑みを迸らせるクロウを見たオルカは、感慨深そうに言う。
「…クロウになってから、よく笑う様になったよね」
「そうか?」
「私がどれだけお前を見てきたと思ってるんだい」
「いっぱい!」
無邪気な回答にオルカが苦笑する。
「…変わったよね。クロウも、私も」
ぴくりとも表情筋を動かさない無感動な人形の様な960の姿は、未だオルカの記憶に根強い。メンテナンスでリセットをかけ、そうある様に仕向けていた日々…。
『欠陥品』に堕ちた時点で、死神は処分の対象になった。管理者は一度でもエラーを吐いた存在を信じる事が出来なかったからだ。しかし管理者は960にだけは度々メンテナンスを持ち掛けていた。
終わらせたくないと、願っていたのである。
「確かにそうだな。オルカは、笑う頻度が減った気がする。だが本当の…心からの笑顔が増えた様な…」
「へえ」
分かってるじゃないか、とオルカは内心呟く。理解されている事を…よく見てくれている事を実感し、無自覚に自然と頬がゆるむ。
「うん、その顔」
温かな声でクロウは続ける。
「やっぱり俺は、オルカの笑顔が好きだ」
直球な言葉を受けたオルカは、照れ隠しなのかふいとクロウから顔を背ける。それからぼそりと言った。
「…なら精々、これからも私を笑わせる事だね」
「分かった!任せてくれ!」
「よろしい。良い返事だ」
「へへ」
和やかな空気が流れる。そんな中…ふと、オルカが思い出した様に言った。
「ところでさ」
「どうした?」
「ルームキー、持ってきた?」
クロウは黙り込む。笑みを浮かべて黙り込む。その反応が全てを物語っていた。
「フロントに行こうか」
鍵の存在を忘れていたのはクロウだけではない。部屋に入れなくなったのはクロウだけの責任ではない。オルカは、お互い様であるという事を自覚しつつ付け加える。
「反省会しないとね」
「そうだな。どうして忘れてしまったのか…今後同じ失敗をしない為にはどうすれば良いのか…よく考えよう…」
「お前の額に、メモでもしておく?」
「それは嫌だー!」
…談笑は続く。夜は、穏やかに更けていく。